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このページに掲載する自推、他推のホームページをお知らせください。内容を吟味の上掲載させていただきます。
こちらまでメールをお送りください
“いなさ丸ごとリンク集”製作者
431−2212
浜松市北区引佐町井伊谷
野末 義幸
ホームページ製作にあたって
“いなさ丸ごとリンク”のホームページをごらんくださいまして、ありがとうございます。今後とも少しずつ更新に励みたいと思っております。いなさの事を知りたいと思いましたら“いなさ丸ごとリンク”のホームページをを思い出してください。
お気に入りやブックマークに登録しておけばなおさら便利に使えると思います。引佐町には観光施設や企業などがたくさんあります。それらのページを一つ一つお気に入りに登録しておけばデスクトップ上が煩雑になりますね。リンク切れのホームページをいつまでもお気に入りに登録してあったなどの話も良くあります。その辺の管理はばっちりですから是非“いなさ丸ごとリンク”を登録しておいてください。
さて「いなさ」って初めての方は読みづらいですね。静岡県の浜名湖の近くに浜松市があります。平成十七年7月近隣の11市町村が浜松市に吸収合併されました。今まで引佐郡の中の引佐町、細江町、三ヶ日町の3町で構成されておりましたところです。細江町は姫様道中、三ヶ日町は三ヶ日みかんでそれぞれ有名ですね。当引佐町についてはこのあとたっぷり紹介します。平成の大合併の号令のもと多くの伝統ある町や村がなくなってしまうのは悲しいことですが、行政改革の一環としてしかたがないのでしょうか。どこかに「いなさ」あるいは「引佐」の名前を残していただければ“いなさの丸ごとリンク”の製作者冥利に尽きます。
さてそれでは引佐町の説明をさせて戴きます。引佐町と書いて「いなさちょう」と読みますことは前にも述べましたが、その語源を紹介いたします。引佐は和名抄に伊奈佐と称し、中世は井伊庄と称されていたようです。しかしいつから引佐の文字が使われるようになったかは定かでないようです。万葉集に歌われている「遠江引佐細江の・・・」から、の名前にしたというのが一般的な引佐の語言説です。
奈良・平安時代は、遠江国引佐郡渭伊郷に行政区画された地で、その郷名は現在の井伊谷という地名に受け継がれているのですが渭伊と言う地名は本来「井」であり、井(泉)や井水が多い地であったということらしいです。浜名湖も都田川の下流の一部とされておりますが上流であるこの「いなさ」の地はまさしく水源にふさわしい地名が付いていたわけです。話は戻りますが天竜浜名湖周辺の合併構想の区割り案の一つに浜松市の北部と引佐3町を合体した地域を一つの行政区にする案が浮上しておりますが、そうなれば、いにしえの時代の復活です。たいへんに興味のあるところです。
緑と花に囲まれた“活力とやさしさあふれるまち いなさ”簡単に“緑と花のまち いなさ”っていうのがわが町、引佐町のキャッチフレーズでした。今は浜松市に合併して浜松市のひとくくりのイメージで捉えてしまうので緑と花のまちのフレーズは使いません。しかしほんとうに引佐に来て頂ければわかりますが、三方原台地を抜けて引佐の地に入りますと山が近づいて来ます。昔は(三信街道)鳳来寺街道、今で言う国道257号線を北上すれば、井伊谷の地に着きます。この辺りからさらに進むと山懐に抱かれ行くようすが実感して参ります。昔の人もきっとこの地から心を引き締めて山間を抜ける旅のスタートを切ったことでしょう。山があれば緑もあるのが当然ですね。緑ばかりで花が無いって悪口を言われた時代もありましたが、最近では路上の花壇や、街路樹の整備も進み“緑と花のまち いなさ”にふさわしい引佐町になって来ました。もともと花の生産はは引佐町の基幹産業であったので“緑と花のまち いなさ”とキャッチフレーズをつけたのではないかと思われます。今は一市多制度の下、クラスター型地方分権都市浜松の中の引佐町として新たなスタートを切りました。この一市多制度、クラスター型地方分権都市の考え方を踏まえて町づくりを進めて行くようです。名実ともに“緑と花のまち いなさ”になりますよう引佐町をこうしたリンク集を通じて応援して行きたいと思います。
引佐町が地方自治体だったころ木と、花が制定されておりました。新浜松になってからも引佐町のイメージを知っていただくためにも引佐町の木と花の紹介をさせて戴きます。引佐町の花は、
渋川つつじが選定されておりました。 県天然記念物にも指定された貴重なもので、引佐町特有のものであるそうです。引佐町の北部の渋川つつじ公園でその群生が見られます。毎年5月20日から6月上旬まで艶やかなピンクの渋川つつじを観察することができます。私の別のホームページ“いなさの山からこんにちは”を見ていただければ詳しく載せてあります。是非御覧下さい。そしてお出かけください。静かな農村の傍らで戴く五平餅の素朴な味わいと渋川つつじの艶やかさがあなたの心を癒すことでしょう。是非お出かけください。
引佐町の木は ヒノキです。 引佐町の土質に適し将来の町の発展に象徴にふさわしいものであるという事で指定されました。町内の至ところで植林されております。特に引佐町最北端の鳶の巣山あたりのヒノキ林の植林地はすばらしいところです。鳶の巣山は上部は視界が開けていませんが、ヒノキ林の途中から南方向を望めば、引佐町内の山々がおり重なって見えます。まさに引佐引佐の山って感じがします。残念ながらここまで北上して来ますと、隣の天竜に高い山があって富士山の雄姿は見ることができません。富士山を楽しむなら引佐町の南の山、三岳山、富幕山、竜ヶ石山がいいでしょう。冬場の空気の澄んだ日なら遠くに見える富士の雄姿と浜名湖の夕暮れに心を打たれることでしょう。各ページを隅々までごらん頂くことをお願いします。
話は少しそれますが平成16年10月12日の新聞に「中国は西安市内の工事現場で墓誌が見つかりその墓誌は一辺39センチの正方形の石で、表面に171字が刻まれていた。個人が収蔵していたものを西北大の博物館員が収集した。」とあった。奈良時代の717年に阿倍仲麻呂らとともに遣唐使の一員として唐へ渡り、勉学途中に客死した留学生の生前の功績を記した墓誌に刻まれたのは井真成という人物である。ここでその人物像を考察するに中国風に姓を1字に変えているが、日本、中国の文献には相当する名前はなく、全く知られていないので井上とかいう姓ではなかろうかと古代史の著名な先生の談である。そこで当地引佐町を思い起こしてみよう。井八郎なる人物が保元の乱に義朝に随って上洛したと吾妻鏡にあるのを引佐町の古代史を研究しているものには知られている。保元の乱は1156年であるから遣唐使の時代と400年の隔たりがある。その400年の月日を長いと見るか、わずかだと見るかは別としてこの井伊谷の地に井という名の一族がいたとしたらである。
この井伊谷は古くから中央政権とはつながりも多い。733年には龍潭寺の前身地蔵寺が建立されたように仏教を中心とした中央政治の政策を実施すべく貴重な地域であったことに間違いはないと思う。この井伊谷の地に生まれ育った秀才、今で言うエリートが中央政治を目指し、さらに遣唐使に抜擢されたのではなかろうか?目的半ばにして不運な死を遂げてしまうが、このまま任務を終え、日本に戻ったとしたらである。一辺の墓誌から推察してロマンの世界をついつい漂ってしまった。そういえば「あまのはら ふりさきみれば かすがなる いなさの山にいでし月かも」と読んだの仲麻呂さんでしたよね。
引佐町は古くから色々な文化が栄え、自然の残るいい所です。ぜひ遊びに来てください。
平成17年7月1日より近隣11市町村が浜松市に吸収合併されました。ここに引佐町50年の歴史を閉じたわけでありますが新浜松市になってからもなお、「いなさ」を忘れないでほしいと思っています。
さて、合併の話の中でよく新浜松市の構想を語るときにクラスター型の地方分権を残した行政と言われます。これはぶどうの房の一粒一粒のように今までの地方の良さや特徴を生かした集合体をもって新市を形成していくと言うことです。行政改革なしでは増え続ける行政コストの増大にストップをかけることはできない。そこで首長と市町村議員の首を切ったり施設の統廃合で行政コストの削減を図るわけですが首長と市町村議員とは地方の声を代弁する人たちであります。このことが浜松中央部の一極集中になってしまう恐れが出てくる懸念があるわけで対策として地域協議会を設けて地方の声を反映させる仕組み取り入れたわけです。この地域協議会の構成員に私も微力ながら選ばれましたの前置きが長くなりましたが、その心積もりを述べさせていただきます。
地域協議会の構成員
構成員の響きはなんとも恐ろしく裏街道を行く人々の集合体のように聞こえます。それはさておいて、旧引佐町からは16名、他の市町村も旧地域の人口に応じて10名から16名選任されており、総数187名になります。もちろん旧浜松市からも選出されております。新浜松市合併構想にあるクラスター型都市づくりの根源をなす地域協議会ですが、一言で言えば「低コストの地方分権」だと思います。我々地域協議会構成員は無報酬です。別にお金がほしくと、こんなことを書くのではないのですが、今まで町村議員や首長さんが努力され、やって来たことを無報酬の我々構成員がその一翼を担うわけです。大変荷が重い仕事であると、心引き締めています。どうかすると、お題目に終わってします恐れがあります。合併当初の地方を丸め込むだけの話に終らせないためにもこの低コストの地方分権制度を大いに利用しようではありませんか?
ぶどうの種
ぶどうの種は食べれば吐き出します。吐き出すとはちょっと、はしたない表現ですが捨てると言う事です。中には種無しぶどうと言って種すらない栽培方法もあるようです。ここでは一般的に種ありぶどうで話を進めます。普段捨ててしまう種を上手に発芽させてみましょう。やがて苗になり木になりつるを作り、実も付けることでしょう。まさしく地域協議会とはこのような存在なのです。使い方によっては捨てられるものも役に立つということです。しかし現実、ぶどうの種を発芽させるのは至難の業でしょう。地域協議会もまさしく同様だとおもいます。
この話、まだ何処でも聞いたことのないオリジナルな話なのでこのページにこっそりと載せておきますが、何処かでこの話、聞いたら「いなさの山からこんにちは」の作者も同じようなことを言っていたなと思ってください。まるで校長先生が生徒に訓示するようなネタですが地域協議会の存在はこんなものと理解してください。実はこの協議会が発足した日、某TV局からインタビューを求められ、おどおどと何も応えられなかったことに猛省して自分なりの考え方をまとめて行くうちに思いついたことです。今度マイクを向けられたらこのように話したいと思いますが、読者が理解するには時間が掛かることでしょう。
青葉の笛
旧市町村において役職にあった人、功労のあった人などがアクトシティーにおいて合併のセレモニーに招待されました。地域協議会の面々ももちろんご招待を受けました。旧市町村の伝統芸能、コーラス、ブラスバンドなどが披露されました。最後浜松市消防音楽隊によるブラスバンドの演奏とドリームフラッグス119の演技は圧巻で、さすが浜松その巨大な財政力をまざまざと見せ付けてくれました。セレモニーのフィナーレにふさわしく、その感動は今も目に焼きついております。
さてその中でわが旧引佐町は「青葉の笛」の演奏を行いました。比較的はなやかな演出がされる中で静かな音色の演奏は館内に静寂なひと時を醸し出しました。この「青葉の笛」は戦国時代の初期、当地の豪族井伊氏と実行支配していた今川家の争いに端を発した事件が生んだ渋川地区にある伝説です。そのくだりは以下のようになります。亀乃丞という当時9歳の子が父の死によって今川家から追われる身になり、縁のある信州市田郷の松源寺に逃がれました。松源寺の和尚や松岡家の人たちに暖かく育てられ、学問や武術を教わり、日に日にたくましくなり12年の月日が過ぎました。その間、故郷のことを思い出すたび、笛を吹き鳴らして、寂しさをまぎらわせていたようです。やがて弘冶元年の春、井伊谷からの知らせでもう安全な所となった事を聞き帰郷することになりました。帰路、井伊領の渋川にある八幡神社に、無事帰国を報告し、信州思い出の笛を奉納しました。この時20歳の青年でありましたがその数年後亀乃丞改め井伊直親は再び今川の謀略に巻き込まれ、27歳の若さで殺されてしまうことになるのです。この知らせを聞いた渋川地区の人々が薄幸の貴公子を偲び形見の品として今でもその時の青葉の笛をたいせつに保管しているとのことです。セレモニーではこの伝説から悲しく響く笛の音を再現して発表されました。この笛のレプリカは青葉の笛本家和泉村の青葉の笛資料館にも展示されております。
和泉村は福井県と岐阜県の県境にある村で、福井県の一番東にある山深いところですが、平治の乱のころの伝説源義平公と青葉の笛で有名です。もう一つは「一の谷のいくさにに破れ討たれし平家の公達あわれ」と唱歌に歌われた須磨寺の青葉の笛です。内容はそれぞれ有名なお話ですのでここでの説明は省かせていただきます。いづれにしても時の勢力下にあって、その勢力に屈した側の悲哀を奏でる点で一致していると思います。
平成の大合併の号令のもと浜松市とその周辺市町村との合併が平成17年7月1日こ行われました。合併のセレモニーで演じた前出の旧引佐町の「青葉の笛」の話に戻しますが、それは時の勢力新浜松市に合併された側の悲哀とも心意気とも取れるメッセージを含んでの演奏であったかと思います。さすが元引佐町の教育長、粋な計らいをしてくれたものだと感服しております。クラスター型地域分権都市作り構想が実現できるよう、監視をし、意見を堂々と述べて行きたいと思います。平成版青葉の笛にならないようにしたいものです。伝説は悲哀をこめ、情緒的で美しいと感じられますが現実はきびしく生き延びることだと思います。そして夢のある未来に向かって平成の大合併が価値あった事だと感じられる日が来ることを望みます。地域の声を大にして叫んでみましょう。
区の名前について
この度の新浜松市合併構想で政令都市を目指し、その区割り案として私たちの住んでいる引佐町と細江、三ヶ日と浜松市の北部をF区と発表されました。このF区の名称ですが「青葉区」を提案します。横浜市、仙台市と同名の区はありますが前章の伝説および地域の特性、音の響きなどなど末永く愛していただくに相応しい名前だと思います。
10月8日に締め切られますが私も「青葉区」で応募しておきました。さて結果はどうなるでしょうか?